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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2011年06月15日

おとうちゃんは浮気ばかりしてたっけ

おとうちゃんは浮気ばかりしてたっけ、静岡県のY市には異母兄弟がいる、弟だな。そして平成5年5月に自殺しちゃった。おかあちゃんはパチンコ好き、金銭感覚がないのかな~?、おかげで借金の山ですわ。
まぁ!おとうちゃんも悪いんだけどな、おかあちゃんをかまってやらないし、給料袋は家に持って来時は必ず封が開いてた、おとうちゃんはほとんど家にいなかったしなぁ~。これが災いして、俺の結婚も遅くなったし、子供の俺までも苦労させられた。みんなも金を借りる時は返済計画を建ててから借りたほうがいいよ。でないとえらい目にあうよ。じゃーまたな。
  


Posted by ぼびー at 13:27

2011年04月26日

おとうちゃんとおかあちゃん

おかあちゃんの父親が、死んだ時、火葬場に向かうタクシーの中でおとうちゃんは事故に遭遇した。むち打ち症のせいかあるいは男の高年期(当時は認識がないから、医師に相談してもしっくりした治療がみつからず)なのか?、この時期から常にからだの調子がわるく、「鬱」っぽくなりだした。だからなおさら収入が減り生活が困窮しだした、ちょうど、俺も中学・高校・大学受験と金がかかるようになり、サラキン(サラリーマン金融)に手を出すようになる。借金地獄のはじまりだ  


Posted by ぼびー at 04:27

2011年02月11日

おとうちゃんとおかあちゃん

俺が東京で産まれ、しばらくして静岡県内に引っ越してきました。

母方のおばあちゃんの元へ来たわけです。

おとうちゃんは国鉄(JR)でレールなどを整備する作業員として働いていましたが、当時はタクシーの方が収入がよく転職、家を建たひともいるようでした。

  


Posted by ぼびー at 18:49

2009年08月11日

おとうちゃんとおかあちゃん

おかあちゃんの父親が、死んだ時、火葬場に向かうタクシーの中でおとうちゃんは事故に遭遇した。むち打ち症のせいかあるいは男の高年期(当時は認識がないから、医師に相談してもしっくりした治療がみつからず)なのか?、この時期から常にからだの調子がわるく、「鬱」っぽくなりだした。だからなおさら収入が減り生活が困窮しだした、ちょうど、俺も中学・高校・大学受験と金がかかるようになり、サラキン(サラリーマン金融)に手を出すようになる。借金地獄のはじまりだ。  


Posted by ぼびー at 15:49

2009年06月12日

A・Mをしってから-1

A・Mビジネスを知ってからすぐに再就職した会社をやめた。それからは、アルバイト生活だった。刺繍のデザイン・地域地図の作成・車の回送・花博の警備・などいろいろやって良い経験をした。がA・Mからの収入は雀の涙程度で、生活は困窮を極めた。

  


Posted by ぼびー at 03:08

2009年02月12日

大阪の生活4

A・Mを知ってからは、夢中でA・Mビジネスをやった。当時は、というよりは俺にA・Mビジネスを教えてくれた人達は、とにかくやれ、という感じの体育かい係で俺には合わなかったようだ、ビジネスの進め方もノウハウもあったものではない丸3年間頑張ってみたが。鳴かず飛ばずだった。今はアA・Mをやる気がしないが製品は気に入って使っている。  


Posted by ぼびー at 10:38

2009年01月04日

大阪の生活3

俺がA・Mというセカンドビジネスを知ったのは大阪市内の「にっほん〇〇〇〇と」という会社に再就職して間もなくしてからだ、専門学生時代の友人からだった。  


Posted by ぼびー at 10:43

2008年11月21日

はじめての就職2

3年目にして私の部署は結局消えてしまった。まず社長が変わり、私はガラス工場内へ配置転換、そして部署の課長はいつの間にか定年退職してこの部署は消えた。
私は工場内の技術者としてはなんの知識もないのでいきなり窓際族になった。
私は思った!会社や仕事に夢を持ってはいけない、生活の糧をかせぎだす手段であると。そして会社をやめ、また大阪にまいもどった。  


Posted by ぼびー at 03:51

2008年11月05日

島根の山中にて

島根の山中に入りはじめてしばらくすると雨がぽつぽつ降ってきた、
しかも道を間違えたらしい、地図を見ていると地元のライダーが声をかけてくれた、草っ原の野宿場所を教えてくれしかも漬物をさしいれしてくれた。そしてテントを張り火を起こし飯をつくり食った、
テントの中で寝ていると・・・つめてー!雨水が沁みてる!外に出て見ると、ななななんと!草っ原が川になってる。まじかよ~!しょうがねぇー出発ダーッ!ねミ~、私は初めてバイクに乗って居眠りをこいた。びっくり!島根の山道を南へ走り広島に出て国道2号線を大阪へ、しかしあまりの疲労に絶え切れず姫路駅前のきったねー安宿に一泊した  


Posted by ぼびー at 09:57

2008年10月06日

バイクで友達とツーリング

ある年の晩秋に3人で山陰と山陽を旅したことがありました。
大阪市江坂のあたりから出発し、国道9号線で日本海に抜け鳥取へ、鳥取砂丘を見物して島根の出雲大社へ向かった、
今日は広島にむかう島根の山中で野宿だ、あ~あ~雨がぽつぽつしてきた。  


Posted by ぼびー at 10:26

2008年09月06日

バイクに乗って

バイクは大阪に行くとき持っていってよく静岡と大阪を往復したっけなー。冬の寒い夜や夏の暑い日でも走った。若い時はできるが、いまじゃ考えられないことだ。渋滞を避けるため夜大阪を出て静岡にむかっう。行く度地図でルートを調べていろいろな道を走った、結構面白かった、冬の寒い夜などは手袋をしていても手がかじかむのでバイクのエンジンで手をあたためながらはしったりしたっけなー。それでもバイクが縁で大阪で友人ができ、ツーリングにいった。とりわけ仲の良い友人が2人できた、その中の一人の彼氏が私の彼氏になるわけです。  


Posted by ぼびー at 10:55

2008年07月06日

フィリピンの女友達

同時多発テロがあった2002年私は初めて海外旅行をした。それもフィリピンだ、
女だてらに静岡県内のS市でタクシーの仕事をしていた時、
乗ってきたお客がフィリピンの女の子で話しをしているうちに、意気統合して電話番号を教えて友達になった。
それからフィリピンに遊びに行くようになりました。  


Posted by ぼびー at 17:45

2008年05月16日

フィリピンにて

友達と喧嘩しガーデンホテルに置き去りにされてしまいましたが、航空チケットの帰国日は1週間後だが私はもう日本に帰ろうと思った。旅行保険に入ってたのでフィリピン事務所「アティックツアー」に電話し日本に早く帰りたいことを相談したが、航空チケットを見たいので「コピーをFAXしてください」。だって、言葉もわかんねーのにどうするの?って感じ。フィリピンはアジアでも英語が第2公用語になるくらい英語が通じるので、とりあえず片言の英語でコピーをしてもらいFAXを送った。しかし変更がきかないチケットで結局帰国予定日まで帰れず。  


Posted by ぼびー at 18:48

2008年05月01日

フィリピンの地にはじめての足を

フィリピン航空PR431便に乗ると約4時間で到着、
飛行機から出た瞬間、あつい!あきらかに日本と違う空気、ものすごい開放感と活気だ。待ち合わせの友達がいない、1時間待った、いない。まてよ、マニラ空港は2つある、まさか!と思った。連絡が取れない、公衆電話のかけ方がわからない。後日談だが当時フィリピンの公衆電話は携帯電話にかけられないらしい。私は空港の警備員らしき男に頼んで電話を借りようとした、すると警備員は親切にも電話をかけてくれて、ターミナル1まで送ってくれたのだ。しかし、これは親切でもなんでもなく金めあてだった。空港の警備員がだ!日本では考えられないことだ。日本がどれだけ生温い国か思い知った。
  


Posted by ぼびー at 19:47

2008年04月28日

私のはじめての飛行機体験

はじめて海外旅行をしたのが同時多発テロがあった年の9月だ。
とにかく安上がりにしようと思い、成田空港までJRの在来線で行った。飛行機の出発時間が朝9時半だ、だから7時ぐらいまでには成田空港に到着していなければならない。時刻表で“ムーンライトながら”をさがしあて静岡駅を2時30分出発、5時ぐらいかな?東京駅に到着、成田線で急行に乗り6時過ぎに>成田空港に到着した、結構長旅だが、はじめての海外旅行だから気持ちはもうフィリピンで苦にならなかった。
JTBで予約してあったフィリピン航空のチケットを受け取りチェックイン、そしていよいよ離陸!ゴーォーキーン!地面から離れた瞬間、いままでこわい!と思っていたものがスーと抜け快感がはしった、これは病み付きになるなと思った。
  


Posted by ぼびー at 18:32

2008年04月22日

大阪ではじめての彼氏

人生ではじめて本格的な彼氏ができたのは大阪に来て6ヶ月後のことだった。
奪略愛です、大阪で、できた友達の彼氏だった男です、後に友達とは和解したが今はもうこの世にいない。
今思うと彼氏の存在は大きかったのだろう、20年たったいまでも当時の名前も顔も覚えている
友達とは和解したが、やはり蟠りみたいなものがあったような気がする。友達が自殺したのは彼氏とわかれてからだ。しかし、その後もその男と友達との交際はあったようだった、自殺の本当の理由は私にはよくわからなかった。友達はガス自殺だった、ガスによる酸欠で死んだから顔はうっ血して腫上り紫色に肌の色は変色し、斑点みたいなものが浮き出ていて、とても安らかとはいえるものではなかった。ガス自殺だけはしないほうがよい。
  


Posted by ぼびー at 17:49

2008年04月19日

専門学校生の生活

今から25年前、私は親元を離れ初めて一人くらしをはじめた、私の出身地は東海地方より東だから友達はたいがい高校を卒業すれば東京へ行った。でも私は、大阪に行ってみたかった。
親元を離れ一人暮らしを初めて体験したわけだが、
開放感がある一方ほんとまじで寂しさもこみあげてきた、それというのも友達が一人もいないからだ。学生時代の友達はみんな東京の学校に行ったからだ。
でも、この大阪では私を知っている奴が一人もいない、
新しい私を作るいいチャンスだと思った。産まれ変わるのだ、積極的な自分にネ。  


Posted by ぼびー at 18:47

2008年04月16日

頭はパニック状態だ!

初めての一人暮らし 初めてのバイト
念願の処女喪失!いきなり淋病だ、なんで????相手の女は同じ専門学校の学生のK子だ、俺も変だなと思った!Hして4~5日したら亀の頭がかゆくなってきた、K子に呼び出され、 「淋病」って言われたんだよね、そう言われてもわたし処女だし・・・・21歳で処女だったなんて恥ずかしくて言えないからその場は「 まじかよ~」ですました。
頭はパニック状態だ!でもその日の夜はK子とやっちまったけどな!。痒みがあいまって異常に気持ち良かったけど。次の日からK雄は軽蔑の目でみてた。ばかやろー!お前の遊びすぎのせいだろうが・・・・・。
わたしは処女だったんだよー
  


Posted by ぼびー at 18:44

2008年04月13日

はじめての告白

私がはじめて男に告白したのは中学2年の時の同じクラスの男です、
当時は携帯電話など無い時代だからメールという概念はない、手紙か電話・直接話するかの選択肢だ。
告白するのに手紙をだすというワンクッションの智がなかったから、直接すぎて相手のことを思いやる余裕もなく、うまくいくはずもないのに、近くのデパートの入口に呼び出して告白しました。
お互い顔を真っ赤にしてた、返事はつれないもので「勉強があるから」だったと思う。
それからが、大変で次の日にはクラス全員に知れ渡り、冷やかされ、お互い顔は見れず気まずさだけがのこった。
今の自分では考えられないことだ。わらっちゃうよなハハハ。  


Posted by ぼびー at 21:02

2008年04月07日

小学校からの夢

ちょうど私が小学生の頃、山口百恵の“赤い疑惑”をやっていて、私も医者に成りたい、と思った!
そして自分のこの手・足、を治したいと単純におもった。私の手の平・足の平は角化が進んでいて硬くドライなのだ、そして遺伝する。母親もそうだし親戚にも成っている人がいるし、私の息子もなっている、かわあそうな・・・・・奇病?なんとかなんないのかな・・めんどくせー。生活するにはちょっと不自由なときがあるかなー。寒くなると切れていたくなるんだよネ。
かね儲けのため、かねに物を言わせて医者に成る奴が多いが、私みたいに医者に夢を持っている奴が医者になれば医学界ももっとよくなるんじゃないかな?いろんないみで。
  


Posted by ぼびー at 20:53